#02 Off the course


理系の学部や院を卒業する大学生の中には、就職先を割と簡単に決めてしまっているものも少なくないようだ。教授が奨める企業、先輩が多く行っている企業に、すんなりと決めてしまう。確かに、専門を引き続き研究できたり、製品開発や製造現場で専門が活かせる就職先を、推薦状付きで教授が紹介してくれるのだから、便利で楽ではある。先輩達も熱心に勧誘してくれるのだから悪い気もしないし心強い。企業側もこういった学生には厳しい試験や面接を課さず、すんなりと内定を出していることが多いようだ。

僕も理系大学生の一人だった。船舶工学科を専攻していた。当たり前のように造船会社を就職先として考えていた。学科では、造船会社か重工業会社の造船部門に就職するのが一般的な「コース」だった。造船業界には多くの先輩がいたし、造船業界に影響力のある教授から推薦状を書いてもらえるのも心強かった。

大学4年時の夏休み、インターンシップ制度を利用し造船所で3週間程働くことにした。就職する前に実際の現場を見ておきたかったからだ。

その造船所は、人口約数千人、一周20km程の小さな島にあった。昭和初期には「炭坑の島」として栄えたが閉山。その数年後、造船所が出来て「造船の島」として再興していた。造船所では、多くの男達が汗を流しながらもくもくと働いていた。僕は一通りの研修を受けた後、様々な現場に行き、簡単な溶接作業や寸法確認等の補助的な仕事を体験した。とにかく汗をかき、よく働いた。
夜には、先輩たちと酒を飲みながら仕事のこと、彼女のこと、趣味、そして人生観までといろんな事を話した。先輩たちは気さくで男らしかった。
休日には、朝から海に行き一日中潜っていた。
造船所での仕事と島での生活を僕は充分に楽しんでいた。

ある夕方、海が見渡せる高台に行った。日本海軍の大砲が残っている高台から見た海は、夕日を受けてキラキラと光っていた。
その背後には、かっての炭坑町の廃墟があった。舗装されていない砂ほこりの舞う道の両側に商店だったと思われる廃墟があり、その向こうには石炭が山積みされたまま放置され、そしておそらく社宅だったと思われる数階建ての鉄筋コンクリートの廃墟にカラスが群れをなして止まっていた。
その商店街の中に今でも人が住んでいる家が一軒あった。家の前に出した長いすに老人の男とちいさな女の子が座っていた。夕日に照らされた石炭の山をぼーっと見ているようにみえた。時が止っているんじゃないかと思ってしまった。

僕は、東京に帰ってからも、造船所の仕事と島の生活を楽しく思い返していた。造船会社で働くイメージも明確になっていた。
ただ、夕暮れの廃墟の光景が、心の中でひっかかっていた。
それは造船業の将来に対する不安と重なっていた。

その頃の日本の造船業界は、世界一の技術と実績を持ちながらも、世界的な過剰船舶、過剰生産設備、韓国の台頭等で苦しい状況が続いていた。知識集約、労働集約、材料集約が必要な造船事業で、将来にわたって国際的な競争力を維持できるのかが大きな課題になっていた。学科には韓国や中国から何人かの留学生が国費や社費で来ていた。僕は、造船会社の成否が、エンジニアのできる範囲を超えたところ決まってしまうのではと思い始めていた。

そして僕は、造船会社に行くことに迷い始めた。教授にも進路決定を待ってもらった。

数ヶ月後、僕は鉄鋼会社に入社した。
何をやるのか、どんなキャリアプランで生きていくのか、明確なイメージは描けないでいた。ただ漠然と作業服にヘルメットをかぶって働く仕事をいくつか希望していた。複合経営を標榜するその鉄鋼会社は、製鉄の他にプラント、アルミ、建機、工具、溶接棒、その他機械類等と多様な事業を展開していた。どこかにあてはまるところがあるだろうと思っていた。むしろ、会社側で決めて欲しいとも思っていた。終身雇用の時代でもあった。

2ヶ月の研修の後、プラント事業部市場開発部に配属された。海外プラント事業は、プラザ合意後の急激な円高によって稼ぎ頭からお荷物事業に転落し、国内向けの新しいシステム商品の開発が急務となっていた。新交通システム等を開発していた開発プロジェクト室を増強する形で、市場開発部が設けられた中での配属だった。
僕の仕事はシステムエンジニアだった。
大学でFORTRUNやUNIXの単位をとり、卒論もコンピュータシミュレーションで書いてはいたものの、コンピュータはツールであり、自分の専門とは思っていなかった。思いもよらず、システムエンジニアとしてキャリアをスタートさせることになった。

以来、情報通信業界にずっと身を置いてきた。結果的には成り行きまかせのスタートだったが、目の前の仕事は面白く、熱中し、知識や経験を積み重ねていった。業界は急成長し、技術革新、新ビジネスの勃興は目覚ましかった。僕自身も転職や起業を経験した。

企業に勤めるエンジニアのキャリアは、ビジネスの大きな流れを無視して積み重ねることは難しい。特にIT業界では技術革新が著しく、マーケットも日々変化している。エンジニアにも時代に適応する進化が求められる。
そして、転職にも、これまで歩んだコースから少しだけ外れジャンプする勇気、努力、そして巡り合わせが必要な時がある。キャリアコーディネーターとして背中を押す我々にも勇気や確信が必要な場面でもある。