飛び級と落第
浅田真央選手が銀メダルを獲得した。弱冠19歳。
スポーツの世界では、10代でで世界の一流選手の仲間入りをするものも少なくない。選手生命も個人差はあるものの概ね30歳前後までだから、10代で一流選手になるのが成功の条件と言ってもいい。
一流選手は飛び級し、年齢や経験が上の世代と戦い、そして勝ち抜いてさらに飛び級を繰り返し、世界の舞台にたつ。
自分を振り返ると、30代半ばぐらいまでは同学年とばかり競争していたと思う。
受験も、就職も、会社員になっても基本は同年次との競争だった。
転職のときもそうだ。同じ年次の社員と同じ処遇をするわけだから、結局同年次同士との競争になっていた。
さて、転職支援を仕事としていると、日本では当たり前の雇用の競争条件に、疑問を抱くことが少なくない。
大企業は新卒採用で社員が構成されているから、入社年次での序列を崩してまで中途採用を行う事が難しいし、
新卒を採用していないベンチャー企業ですら、上司、同僚、部下の年齢をキレイにならべたがる。
募集職種のジョブディスクリプションと想定年俸を満たす人であれば、年齢は関係ないはずだと思うのだが、この壁はとても頑強だ。年齢に比べて優秀すぎても、劣っていても転職は難しい。
僕ら日本人は、飛び級には慣れていない。優秀すぎる人間も年次で押さえられるのを当たり前と思っているし、飛び級したときの目立つリスクも知っている。
落第にも慣れていない。落第イコール落ちこぼれのレッテルを自他共に貼ってしまう。
飛び級も落第も、『適材適所』にするためのシステムだと受け入れることは、企業にも社員にも当分難しそうだ。
『この年齢だから、この能力で、この仕事で、この給料』ではなくて、『この仕事だから、この能力で、この給料』とシンプルな雇用条件になる日が来ないことには、雇用も増えないし、多様な働き方ができる社会は来ないのではと思う。
身の丈に合った生き方を好む若い世代にも受け入れられるのではとも思う。