Still, in the panic.

 まだ、『百年に一度』のパニックの中にいる。


 先週、修羅場が得意な友人と酒を飲みながら、与太話に花を咲かせつつ、ああでもない、こうでもないと言ってるうちに、そんな話に落ち着いてしまった。
 『百年に一度』というこの状況の中、およそ冷静且つ正しい判断や先読みが出来るわけがなく、従来の資本主義の変曲点かもしれないし、一旦損切りし身を軽くした上で、頭を低くして見(ケン)を決め込むのが得策という、至極まっとうな話ではある。


 そう、当たり前と言えば当たり前の話ではある。


 出口を求めてぐるぐるっと迷路を歩き回っていたら、結局元の場所に戻っていたような気分のする話でもある。壁伝いに進めば最終的には出口に出ることができるのはわかっているが、最初からそれをやってしまっては何のおもしろみもなく時間がかかりすぎる、かといって、迷い過ぎてしまっても疲れ果ててしまうので探し歩き廻ったのに、、結果がこれか。何も考えず最初から壁伝いに歩けば良かった。徒労だった。という感じだろうか。


 シンプルで確実な話を言い切り実行することが肝要な時ということか。


 迷路は壁伝いに進めば出口に必ず到達する。確かにそうだ。


 しかし、やはり面白くはない。思考停止し作業に没頭する美しさはあるかも知れないが、無謬性への過剰な執着、味方以外は全員敵みたいな志向と同じニオイを感じてしまう。


 壁を壊したり、よじ登ったりできれば良いのだが。。