#24 中山国交相辞任で思うこと

 25日:中山成彬国交相の「成田空港ごね得」「日本は単一民族で内向き」「日教組解体」の3つの発言は、野党やマスコミの格好の餌食となった。中山氏は「ごね得」「単一民族」については国交相として撤回・謝罪した。
 27日:しかし、日教組については、知元宮崎で「日教組はぶっ壊す」と政治家・中山成彬としての主張を曲げなかった。さらに、日教組民主党の支持団体であることなどを指摘し、「小沢民主党も解体しなければいけない」と批判した。与党内では、臨時国会と次期総選挙に影響を及ぼすことを懸念し、中山氏を表だって擁護する者もなく、国交相辞任は不可避という見方が支配的になる。
 28日:、中山氏、国交相を辞任。麻生太郎首相も「(中山国交相の)発言は甚だ不適切で、大変残念だ。国民かつ関係していた方々に心からおわびする」と陳謝した。

 中山氏は宮崎1区の衆議院議員文科相として「ゆとり教育」みなおしを2005年に着手。日教組とはこのころから意見が合わない様子。大臣の頃に一度お会いしたことがあるが、「人材こそが資源、科学技術が特に大事、チャレンジャーが出てくる教育」等を熱心に語られた。高校、大学の先輩でもあり、国政に送りだし応援するに相応しい人と思った。

 今回の不適切な発言の、撤回と謝罪が受け入れられればと願っている。

 一方、あの人が言うのだから、「義」のあることを言っているはず という気持ちがある。「言葉足らずや言い過ぎ」もあるだろうが、「義」を汲み取っていきたいと思っている。そうでなければ、言いたいことも言いにくくなり、「大義」も果たせなくなる。

 事態収拾は早期に図れたものの、本当にこれで終わりにしていいのだろうか?と、私自身にはいくつかの疑問や違和感がくすぶっている。
 ・「ごね得」は本当になかったのだろうか? または、そういう解釈もできる事実はなかったのだろうか?
 ・観光振興を語る文脈の中で、「ほぼ単一民族」を「単一民族」に間違えることは「舌禍」に値するのだろうか?
 ・日教組は、国歌斉唱、国旗掲揚、道徳教育に反対し、実際の現場でも上司に従わない教職員の労働組合だ。一般企業の労働組合は、労働条件について会社と戦うだけで、経営や経営執行には係わらない。教育基本法や学校経営までに影響力と持とうとするのは、労働組合が会社を経営するような話で、自己矛盾を抱える話ではないだろうか? 国の教育方針決めるのは労働組合ではないような気がするが。
 ・野党やマスコミは、一刀両断、二分割理論的に「舌禍」と決め付け、大上段に正義を振りかざしすぎてないのではないか? 少しは、「舌禍」である理由を説明・検証していいのではないだろうか?
 ・重箱の隅の正しさだけを判断してはいないだろうか? ある状況の中での正しさを優先し、本質的な問題を議論することを繰り返し先送りしてしまったんではないだろうか?
等等。

 最後に。中山さん。これに懲りずに今後もバンバン、剛速球を投げ込んでください。コントロールはおいおいつけてもらえればと。。今後の活躍を期待してます。