2回目のブティック型ビジネス

 ブティック型ビジネスを経営するのは、これで2回目だ。
 
 1回目は、通信事業者向けの事業立ち上げや再生のコンサルティング。ライセンス取得から設備構築までをコンサルし専門人材の派遣も行った。専門性が高く要求される仕事で、フィーも大手コンサル並に設定でき収益性はとても高かった。10数人の社員で年間数億円の売上げで、経費は社員の給料と事務所という構造だからひたすら利益が出続けた。ただ、ビジネスの拡大は、専門性の高い仕事以外のシステム開発そのものや、現場の技術者や営業の派遣まで請け負わない限り困難だった。システム開発事業に進出するか検討したが、結局、一人当たりの売上げの上限があるビジネス構造はコンサルティングと同じだと思い見送った。ちゃんとした仕組みさえ作れば、ごく平均的な人間で回せるようなビジネスとして、EC事業も検討しテストサイトまで作ったが、まだダイヤルアップの時代に時期尚早と判断し見送った。
 余談だが、そんな紆余曲折や検討期間をへて、縁もあって通信インフラを提供する事業(株式会社メディア)に進出し、USENIP電話を卸す契約と同時に資本提携した。

 あれから10年、いろいろあって、インプレスにお世話になり、そこで新規事業として興した人材ビジネスをMBOした。

 そんな経緯で、2回目は、IT業界やエンジニアに特化した人材ビジネスだ。立ち上げ当初は景気がよくて、人材需要に供給が追いつかない経営環境で、極端な話、右から左に売れていく人材も多かったので、スピードと量を重視する経営だった。しかし、リーマンショック以降は全く異なる様相で、高い専門性が求められるブティック型コンサルティングビジネスとなってきた。多くのクライアントを抱えるより、絞り込んだ重点クライアントにがっちり取り組むことで、高い専門性を活かしたパフォーマンスを出すように舵を切った。この厳しい雇用情勢の中でもなんとか生き延びて来ているのも、この方向転換が比較的にうまくいったからだと思う。

【追記】アライアンス戦略も同時に推進した。重点クライアントに集中するマイナス面、情報量の不足を補うためだ。これで、ふと気づいたら「浦島太郎」や「一本足打法」になっているリスクを抑えられる。

 さて、うまく行けば行ったなりに欲も出てくるのが人間の業というか、僕の業だ。
 また1回目と同じ気持ちになるところまで行ってからの話ではあるので気の早い話なのだが、それなりに僕も進化して年齢も重ねたし、経営環境も違うので、そうなったときはあーだこーだと考えたりもするのも、楽しみのひとつにはなっている。